「わたしの穴 美術の穴」2019年企画                   My Hole: Hole in Art series (2019)

 

 

 

会場 Space23℃ 「不定領域」 榎倉康二・高山登・藤井博  

 Koji Enokura / Noboru Takayama / Hiroshi Fujii

会場 CAPSULE「享楽平面」 石井友人    Tomohito Ishii

会場 clinic「下降庭園」 高石晃    Akira Takaishi

 

 

会期:2019510日(金)ー69日(日) 

開廊日時:金・土・日 12:00-18:00

 

企画:「わたしの穴 美術の穴」製作チーム

助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)  

協賛:株式会社秋葉機関

お問い合わせ:ishii.tomohito@gmail.com

 

 

 

概要

 

本企画は2014年から始まる「わたしの穴 美術の穴」という美術作家による自主企画展シリーズ、その第3回目に当たります。「わたし」という個の存在と、「美術」という社会的制度の双方が依って立つ基盤について思考するため、石井友人、高石晃は、それまで自明のものとみなしてきた制度や歴史を検証してきました。とりわけ、榎倉康二・高山登・藤井博・羽生真が1970年に行った野外展示「スペース戸塚`70」について研究することを1980年代生まれの美術作家である自分たちの表現を考える上で重要なものと位置付け、このプロジェクトの軸としています。

 

「スペース戸塚`70」は高山登の当時の下宿先の広大な庭を自ら整地し、そこに作品を点在させた野外展でした。そこで制作されたものの中には大地に穴を掘ることによって作品化された、榎倉康二「湿質」、高山登「ドラマ地下動物園2」、藤井博「波動B」などがあり、それらは彼ら三人の作品の中でも特に重要なものとみなされています。 

 

当時の時代背景に目を向けると、1970年にはよど号ハイジャック事件、日米安全保障条約の自動延長、三島由紀夫の自決、大阪万国博覧会と東京ビエンナーレの開催など文化的にも社会的にもインパクトのある出来事が群発しています。この年を境に1968年をピークとした政治的、文化的運動が収束していき、その一方で現在までつながる社会体制が形成されていくという節目の時期であったといえます。

 

そのような状況下で、彼らは庭に穴を掘りました。それは野外展示の美術作品であると同時に、1970年という歴史の転換点の象徴としての「穴」と言えるのではないでしょうか。石井と高石は、当事者である高山、藤井とも直接対話を重ねながら、その1970年の文化状況に穿たれた「穴」が現在において持ちうる意味を考えてきました。

 

現在、わたし達が日常的に眺める風景においてその「穴」は変質し、或いは消失したかのように感じられます。しかし注意深くわたし達が立っている日常の基盤を意識化してみると、オリンピックや万博が奇妙な形で回帰しようとしているこの日本社会の土壌に、1970年の「穴」が別の様相で立ち現れるように思われてなりません。

「わたしの穴 美術の穴」2019年企画では、それらの考察を元に3つの展覧会を開催します。

 

榎倉康二・高山登・藤井博の過去作と資料によるグループ展「不定領域」(会場:Space23℃)では彼ら三人の作品のテーマ形成において「スペース戸塚70」の穴の作品がいかに作用したかを検証します。合わせて、企画者二人がそれぞれの個展、石井友人「享楽平面」(会場:Capsule )、高石晃「下降庭園」(会場:clinic)において、これまでのプロジェクトの成果をもとに新作を発表します。

 

 

東京世田谷の三会場における展示を同時開催することによって、現在にありうる「穴」のあり方を複合的に提示します。その複数の「穴」を通して、今「わたし」と「美術」が共に依って立つ場所が姿を現すことでしょう。

 

 

 

「不定領域」

Uncertain Area

 

作家:榎倉康二・高山登・藤井博  Kōji Enokura, Noboru Takayama, Hiroshi Fujii

会場:Space23℃

住所:〒158-0091 東京都世田谷区中町2-17-23

会期:2019510()69(

開廊日時:金・土・日 12:00-18:00

URLhttps://www.space23c.com

 

アクセス:東急大井町線 等々力駅より徒歩5

 

 

 

 

「この『不定な領域』がどのような世界なのかはそれを考える人によって違ってくる。ある人は人間の不在の不可思議さを考えるだろうし、ある人は宇宙の成り立ちの不可思議さを、またある人は社会制度と個としての人間との関係の矛盾……等。しかし表現者は常にこの『不定な領域』について思考することを強いられる。これらは実体性のないものなので、それをどの様に把握するかという事は非常に困難であるのだが、何らかの方法で把握しなければならない問題である。」(榎倉康二「タルコフスキーあるいは「不定な領域」について」『投石』東京藝術大学 油画第二研究室、1991年)

 

 

榎倉康二、高山登、藤井博らは1970年冬、高山の住むアパートの敷地内にある広大な空き地を整地し、野外展示を行いました。これが日本におけるオフミュージアム的な実践の端緒とも言われる「スペース戸塚`70」です。既存の展示空間から距離をとり野外の空間に向かったものですが、残されたドキュメントを見る限り、野外でありながら開放的な印象はなぜかそれほどなく、どこか自閉的な印象を与え、複雑な陰影を感じます。このような両義的な印象は、三人ともがそれぞれ制作した穴状の作品群によるものでしょう。写真に残されたそれらの「穴」には、彼らのその後の表現の特徴が凝縮して現れており、今見ても不思議な魅力でわたし達を惹きつけます。

 

「わたしが作品活動し始めたのは、19689年ごろからで、安保、学生紛争の真っ只中であり、社会的状況は騒然としていた。その中において私たちの日常とは、いったいどのような基盤の上に成り立っているのだろうか、という問いかけが作家活動においての基本的な意識であった。」と榎倉は後に書いていますが、1970年の段階において、彼らは自らの依って立つ大地にスコップを突き立てることで、日常空間の基盤を突き抜け、その先に到達してしまったのかもしれません。その基盤に開いた裂け目=空き地の穴は、社会変革と胎内回帰、日常性と異質性、即物性と物語性などの相反するベクトルが共存する真空状態、1970年という歴史の特異点をそのまま具現化しているかのようです。

 

この展覧会では、その榎倉、高山、藤井による戸塚の「穴」は、社会/個、日常/非日常、不透明性/透明性、物質/イメージ、現実/夢などの相反する性質が混淆しながら葛藤する特異な場であったと仮定し、そこで彼らはその後数十年に及ぶ表現活動の核となるものを得たのだと考えます。榎倉が自らの制作のテーマとして言及している「不定な領域」とは、戸塚で彼らが作り出した「穴」にこそ現れていたのではないでしょうか。

 

その「穴」をもう一度直視し、そして彼らの作品がその後いかに形を変えていったかを見ることで、空き地の穴として現れていた特異な場が1970年以降にどのように位相を変化していったかを知ることができることができるでしょう。それはすなわち、彼らが向かい合おうとしてきた日常性の基盤、つまり世界の基底面の位相変化をみることであり、今わたし達がどのような世界に生きているかを考える契機となるはずです。

 

三人の未発表の作品資料や、重要な過去作品の再現を含む貴重な展示を是非ご高覧ください。

 

 

 

享楽平面」

Plane of Jouissance

 

作家:石井友人  Tomohito Ishii

会場:CAPSULE

住所:〒154-0001 東京都世田谷区池尻2-7-12 B1F

会期:2019510()69(

開廊日時:金・土・日 12:00-18:00

URLhttp://capsule-gallery.jp

 

アクセス:東急田園都市線・世田谷線 三軒茶屋駅より徒歩7分 東急田園都市線 池尻大橋駅より徒歩7

 

 

 1981年生まれの石井友人はこれまで、主にインターネットから見つけてきたイメージを光学的に分解しながら描いたような絵画作品を制作してきました。日常に溢れている情報や身の回りの風景などを構成している映像と、自分との接続関係をテーマとする石井の制作は、既存のイメージを身体に受容し、再度絵画としてそのイメージを出力するという、身体を用いた映像作りというべきものです。

 

石井によれば映像とは元々、非ー人間的な領域に属していたと言います。写真や映画の誕生の際にはおそらく、人間から独立した異質なものとしての映像の衝撃があったはずですが、映像はすぐに素材として加工されるようになり、人為的な複製品として社会の歯車に組み込まれるようになりました。映像を巡るこの変化は、現代社会特有の表層性を生み出す大きな原動力となったことでしょう。何が真実で何が虚構なのかという判断や、現実感、実在性などに関するわたし達の感覚も、映像の社会への浸透と密接な関係を持っていると言えるでしょう。

 

そのように映像が浸透している今日の社会では、主体と客体の境界面が複数化し、人は常に表層的イメージに取り囲まれています。今回石井はこれまで「Subimage 下位-イメージ」と名付けて取り組んできた、複数化する映像イメージと身体というテーマに、「スペース戸塚`70」における実践を参照しながら、物質的な次元を導入します。

 

石井は、主体と客体のインターフェースである鏡やモニターといった複数の平面、その境界に直接的な事物「石」を挟み込み、諸平面に亀裂を作り出そうとします。複数のイメージと境界面を貫入するその「穴」を通して、そこにイメージそれ自体の基盤「映像の基底面」が露呈するはずです。そこではわたし達が常日頃、目にしていながら認識する事が出来なくなっている映像の本来の姿、非ー人間的な「光の仮象の世界」が現れるでしょう。人はその「光の仮象の世界」に接続するよう試みることで、精神分析的な意味における「鏡像段階」以前の状態、自他の境のない、人間の非ー人間領域=「享楽」を感じ取ることができるはずだと石井は考えます。

 

風景であれ情報であれ、今日、常にわたし達が接しているこの表層世界に現れた「穴」、その隙間から垣間見られる「享楽平面」を是非ご覧ください。

 

 

 

 

 

「下降庭園」

Descending Garden

 

作家:高石晃  Akira Takaishi

会場:clinic

住所:〒154-0024 東京都世田谷区三軒茶屋1-33-18

会期:2019510()69(

開廊日時:金・土・日 12:00-18:00

URLhttp://www.clinictokyo.com

 

アクセス:東急田園都市線・世田谷線 三軒茶屋駅より徒歩5

 

 

 

 

 

 

「僕が本当にピンボールの呪術の世界に入りこんだのは1970年の冬のことだった。その半年ばかりを僕は暗い穴の中で過ごしたような気がする。草原のまん中に僕のサイズに合った穴を掘り、そこにすっぽりと身を埋め、そして全ての音に耳を塞いだ。」

「1973年のピンボール」村上春樹(1980年)

 

1985年生まれの高石晃はねじれ、うねるように描かれた線や、真っ二つに引き裂かれた紙、階段やテーブルなどが描かれた絵画作品を作り出してきました。それらの絵画は空間の歪み、絵の具の盛り上げ、支持体の物理的切断などの極端な操作を行うことによって絵画構造の原初的なあり方をさらけ出しているようです。

 

また高石は「わたしの穴 美術の穴」のプロジェクトを通じて、絵画作品の空間性を拡張し、庭や公園に掘られた穴による作品を制作を開始しました。高石は、穴と絵画は共に確たる実体はなく、見る人の認識の中にその根拠があるため、その構造は虚(イマジナリー)なものであると言います。そして穴と絵画の虚の構造を使うことで、人の認識や意識を支えている基盤である「精神」という不可視のものを捉えることができると考え、絵画と穴が構造的に持ちうる精神性に注目して制作を行っています。

 

穴の精神性を考えるうえで高石が参照するのは二つの「穴」、榎倉康二・高山登・羽生真・藤井博による「スペース戸塚`70」における「穴」と、村上春樹の小説世界に登場する「穴」です。「スペース戸塚`70」は高山登の下宿先の庭にて1970年の11月から制作が開始され、125日から20日にかけて発表されました。そこでの穴を使った作品群は当時から注目され、それぞれの作家を語る上で不可欠な作品となっています。

 

一方、村上春樹の小説「1973年のピンボール」には主人公が空き地に穴を掘るシーンが登場しますが、その時期は1970年の冬と設定され、奇妙なことにちょうど「スペース戸塚」が開催された時期と一致しています。高石はこの事実に触発され、その1970年という年の時代精神と「穴」の関係について思考してきました。そして戦後日本史のなかでも転換点といえる1970年に現れたこの二つの「穴」の構造を解析し、50年後の現在においてそれを発展させることで、今わたし達を取り巻く環境や精神のあり方を穴を通して示すことができるのではないかと考えています。

 

今回、高石は三軒茶屋の商店街の中に診療所兼住宅として1965年に建てられ、スキーマ設計集団によってリノベーションされたスペース、clinicにおいて、裏庭に掘られた穴と室内空間を組み合わせた展示を発表します。タイトルの「下降庭園」という言葉には、わたし達の心の奥深くへの下降とするための庭園という意図がこめられています。人は都市の中につくられたその庭園を回遊することで、日常風景の下にある構造を発見し、同時に自らの内的な世界の中を探索することができるはずだと高石は言います。

 

わたし達の意識や認識の下部構造であり、同時に社会や歴史の構造を支える基盤である「精神」の領域を「穴」によって具現化しようとする高石の試みを是非ご覧ください。

 

 イベント

 

・オープニング・パーティー (3展示のオープニングをSpace23℃にて合同で行います)

会場:Space23℃

日時:2019510日(金)17時ー19

 

 

トーク・イベント(3展示のトーク・イベントはCAPSULEにて行います)

・「不定領域、スペース戸塚70から」

参加:高山登・藤井博・桝田倫広・石井友人・高石晃

会場:CAPSULE

日時:2019511日(土)18−20

 

・「映像の基底面」

参加:石井友人・三宅砂織・近藤亮介

会場:CAPSULE

日時:2019519日(日)18−19

※登壇者・三宅砂織個展「庭園|POTSDAM」が東京都銀座、SPACE TGCにて5月18日(土)–26日(日)まで開催されます。

https://saorimiyake.com/potsdam

 

・「藤井博ー波動、置・域を起点に」(藤井博  「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」展覧会冊子出版記念イベント)

参加:藤井博・熊谷伊佐子・池野絢子・高石晃

会場:CAPSULE

日時:201961日(土)18−20

 

・クロージング・パーティー 3展示のクロージングをclinicにて合同で行います)

会場:clinic

日時:201969日(日)19時30分–20時30分

出版

 

藤井博「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」展覧会記録冊子 を出版いたします

 

テキスト:石井友人・高石晃・熊谷伊佐子

翻訳:アンドレアス:Andreas Stuhlmann

カタログデザイン:Tomohiro Koketsu

 

 

 

  

2018年に開催された展覧会「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」の展覧会記録冊子を日・英バイリンガルで出版いたします。展覧会記録写真、企画者石井友人による展覧会序文・同企画者高石晃による展覧会内テキスト「日本現代美術の瘡蓋の芯(クラスト・コア)」に加え、熊谷伊佐子による書き下ろしテキストを収録いたします。熊谷のテキストでは藤井博の70年代前半活動が主に顧みられる予定です。 これらのテキストに付随する藤井博の作品画像も多数収録されます。

本冊子では昨年開催された「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」を導入口としながら、藤井博の活動全域の重要性が問い直されることが目指されます。 20196118時より、世田谷区・CAPSULEにて藤井本人も登壇するトーク・イベントを催します。最初期作「波動」や、70年代半ば作家達の生活空間をも展示空間とした「点展」に出品され、本企画において再制作される「置・域」を起点に、研究者を交えた藤井論が展開されます。

「不定領域」@Space23℃

榎倉康二・高山登・藤井博

上から 榎倉康二「湿質」, 記録写真, B5, 1970年 高山登「ドラマ地下動物園2」,記録写真,B5,1970年 藤井博「波動B」,記録写真,B5,1970年 

左から 榎倉康二「無題」,アクリル・皮・綿布,73x53cm,1995年 藤井博「置域」,鉛板,200x100cm,1973年 

高山登「遊殺ーのっぺらぼう」,枕木,各250cm,2019年 

「享楽平面」@CAPSULE

石井友人

左から 「Subimage(石と鏡2)」,油彩・キャンバス,130x194cm,2019年 「享楽平面A」,タイプCプリント, 170c120cm, 2019年 「享楽平面B」,モニター・ビデオカメラ・鏡,サイズ可変,2019年 

「享楽平面A」,タイプCプリント, 170c120cm, 2019年

「享楽平面B」,モニター・ビデオカメラ・鏡,サイズ可変,2019年 

「下降庭園」@clinic

高石晃

「Little Bend」,穴・地面, L120xW120xD175cm, 2019年

「Little Bend」,インクジェットプリント,212.3x319cm, 2019年 

「Steps」,アクリル・キャンバス、 162x130cm, 2019年. 「Bend」,インクジェットプリント、229x344cm, 2019年 「Little Bend」,インクジェットプリント,212.3x319cm, 2019年 .「Corner」,アクリル・キャンバス、53x45.5cm、2019年 

 

「不定領域」作家略歴

 

榎倉康二 ENOKURA Koji  (1942-1995)

1942年生まれ。 2019年「榎倉康二の点展」(Space23℃、東京)2018年「榎倉康二」(東京画廊、東京)、2017年「ジャパラノマ」(ポンピドゥー・センター・メッス、メッス)2017年「榎倉康二 Figure」(タカイシイ・ギャラリー、東京) 2013年「KŌJI ENOKURA」(Blum & Poe、ロサンゼルス)、2012年「Requiem for the Sun: The Art of Mono-ha」(Blum & Poe、ロサンゼルス)、2012年「写真で見るスペース戸塚’70(横田茂ギャラリー、東京)2005年「もの派ー再考」(国立国際美術館、大阪)2005年「榎倉康二展」(東京都現代美術館、東京)、2000年「2000 光州ビエンナーレ 人+間 韓国・日本の現代美術の様相」(光州市美術館、光州)、1996年「榎倉康二遺作展」(東京藝術大学芸術資料館、東京)、1995年「1970年ー物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(埼玉県立近代美術館、浦和、他)1992年「70年代日本の前衛展」(ボローニャ市立近代美術館、ボローニャ)、1989年「KOJI ENOKURA PROJECT」(サバンク・テンポラリー・ミュージアム、東京)、1983年「榎倉康二個展」(東京画廊、東京)、1980年「第39回ヴェネチアビエンナーレ」(ヴェネチア)1978年「第38回ヴェネチアビエンナーレ」(ヴェネチア)、1974年「榎倉康二 ある一つの日本の例」(アーヘン市美術館、アーヘン)1973年「点展」(自宅、世田谷」、1971年「第七回パリ青年ビエンナーレ」(パルク・フローラル、パリ)、1970年「スペース戸塚 ’70 (スペース戸塚 ’70、神奈川)1970年「The Infinite Zone(不定地帯)」(村松画廊、東京)1970年「第10回日本国際美術展 人間と物質」(東京都美術館、東京、他)1969年、「歩行儀式」(椿近代画廊、東京)

 

高山登 TAKAYAMA Noboru  (1944-)

1944年生まれ。1970年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。1990−91 P.S.1スタジオプログラム参加。 主な展覧会に、2018年「高山登展」(Kayne Griffin Corcoran、ロサンゼルス)、2017年「ジャパラノマ」(ポンピドゥー・センター・メッス、メッス)2012年「Requiem for the Sun: The Art of Mono-ha」(Blum & Poe、ロサンゼルス)、2012年「円空大賞展」(岐阜県美術館、岐阜」、2012年「写真で見るスペース戸塚’70(横田茂ギャラリー、東京)2011年高山登退任記念展「枕木ー白い闇 x黒い闇」(東京 芸術大学大学美術館、東京)2010年「高山登展ー300本の枕木 呼吸する空間ー」(宮城県美術 館、宮城)2005年「もの派ー再考」(国立国際美術 館、大阪)2001年「みちのくアートフェスティバル2001」(国営みちのく杜の湖畔公園、宮城)、2000年「光州ビ エンナーレ2000(光州美術館、光州)1995年「ASIANA:Contemporary Art from Far East」(ヴェネチア、イタリア」、1995年「1970年ー物質と知覚 もの派と根源を問う作家たち」(岐阜県美術館な ど、6都市)1991年「インターナショナルアーティスト展」(P.S.1 Museum、ニューヨーク)、1988年「白州・夏・フェスティバル」(白州町、山梨県)、1986年「モノ派」(鎌倉画廊、東京)1981年「遊殺ーのっぺらぼう」(ギャラリー手、東京)、1978年「遊殺」(真木画廊、東京)、1973年「第八回パリ青年ビエンナーレ(パリ市近代美術館、パリ)、1973年「点展」(自宅、戸塚」、1970年「スペース戸塚 ’70 (スペース戸塚 ’70、神奈川)1970年「高山登個展 地下動物園」(田村画廊、東京) 1969年「地下動物園」(椿近代画廊、東京)

 

藤井博 FUJII Hiroshi  (1942-)

1942年岐阜県生まれ。1968年武蔵野美術大学油絵学科卒業。 主な展覧会に、2018年「わたしの穴 21世紀の瘡蓋」(Space23℃、東京)、2017年「表層の冒険 抽象のアポカリプス」(ギャラリー鴻、東京) 2012年「写真で見るスペース戸塚’70(横田茂ギャラリー、東京)2009年《「浮遊する視線性は... ’09.11(Space23°C、東京)1999年「視層 絵画ーSight Strata Painting(ギャラリー 檜、東京)1996年《「空間質」 ‘96.2(IBM川崎市民ギャラリー、神奈川)91年《「ためられる時間・空間質」‘91.6(ときわ画廊、東京)1988年「現代美術としての映像表現」(目黒 区美術館、東京)1987年「降り立った絵画」(東京都美術館、東京)1984年《「内へ」・「外へ」‘84.7・・・・ みうるもの・・・・》(ギャラリー檜、東京) 1984年「空間の音色」(山梨県立美術館、山梨)1984年「10人の作家の現在位置」(横浜市民ギャラリー、神奈川)1979年「平面体による」(藍画廊、東京)、1978 「人間と自然の復権」(東京都美術館、東京)1977 Body as a Visual Language(真木画廊、東京)1975年「点 展」(立川、東京)1974年《「交差」・「・・・物的な」1》(田村画廊、東京)、1973年《’73「点展」(置・ )(汲沢団地、神奈川、他)1973年「京都ビエンナーレ」(京都美術館、京都)1972年《イヴェント「肉・街・路」》(都内と神奈川県7箇所)、1972Komaba Anthology (邦千谷舞踏研究所、東京)1971年《「石」‘71.12(田村画廊、東京)1970 「スペース戸塚 ’70(スペース 戸塚、神奈川)1970年《「波動」1(肉・鉛・地)(田村画廊、東京)

 

 

「享楽平面」作家略歴

石井友人 ISHII Tomohito

1981年東京都生まれ。 2006年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。 2012-13 Cité internationale des arts 滞在。 最近の主な展覧会に、2018年「新朦朧主義5」(北京精華大学美術館、北京)2017年「ニュー・フラット・フィールド」(デジタルハリウッド大学、東京)2017年「未来の家」 (Maki Fine Arts、東京)2016年「The Greater Taipei Biennial of Contemporary Art(NTUA、台北)2015年「引込線2015(旧所沢市第二給食センター、埼玉)2015年「わたしの穴 美術の穴」(Space23°C、東京)2015 「大和コレクションVII(沖縄県立美術館・博物館、沖縄)2014年「パープルーム大学II(熊本市現代美術館、熊)2014年「新朦朧主義」(798芸術地区・東京画廊+BTAP、北京)2014年「夏と画家」(アラタニウラノ、東京)2013年「Biennial Open Exhibition(NN Contemporary、ノーザンプトン2013 ILYAURA The Window (The Window、パリ2013年「DAY(s) Dreaming(59Rivolli、パリ)2011年「4人展 -  画」(ShugoArts、東 )2011年「『複合回路』認識の境界」(Gallery αM、東京)、2008年「15years」(WAKO WORKS OF ART、東京)、2007年「Portrait Session」(広島市現代美術館、広島)、2005年「from/to #3」(WAKO WORKS OF ART)など。 

 
 

「下降庭園」作家略歴

高石晃 Akira Takaishi

1985年神奈川県生まれ。 2010年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。 2016-17 Cité internationale des arts 滞在。 最近の主な展覧会に、2018年「紅櫻公園芸術祭」(紅櫻公園、札幌)、2017年「三つの体、約百八十兆の細胞」(Maki Fine Arts、東京)2017年「FxAxRxM vol.1 (Clinic、東京)2016年「多世界」(文房堂ギャラリー、東京)2016 「地下水脈」(Maki Fine Arts、東京) 2015年「わたしの穴 美術の穴」(Space23°C、東京)2014年「イグノア・ユ ア・パースペクティブ27油画考#2 情の絵画考」(児玉画廊、東京)2013年「シャンボリオンのような人」(児玉 画廊、東京)2012年「絵画のポリモ ルフォロジー」(スイッチポイント、東京2011年「肥えた土地」(アキバタ マビ21、東京2011年「VOCA 2011 現代美術の展望・新しい平面作家たち」(上野の森美術館、東京),2008 RISE/SET(トーキョーワンダー サイト本郷、東京)2007年「ワンダーシード2007」(東京都ワンダーサイト渋谷、東京)など。 

 

トーク・イベント 登壇者略歴

池野絢子 IKENO Ayako
京都造形芸術大学大学院芸術研究科(通信教育)、准教授。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、現職。単著に『アルテ・ポーヴェラ──戦後イタリアにおける芸術・生・政治』(慶應義塾大学出版会、二〇一六年)。分担執筆に岡田温司編『ジョルジョ・モランディの手紙』(みすず書房、二〇一一年)、土肥秀行・山手昌樹編『教養のイタリア近現代史』(ミネルヴァ書房、二〇一七年)、共著に中村靖子編『非在の場を拓く──文学が紡ぐ科学の歴史』(春風社、二〇一九年)など。
 

熊谷伊佐子 KUMAGAI Isako 

早稲田大学大学院修士課程美術史専攻修了。1975-89東京都美術館学芸員。1989-95東京都新美術館開設準備室勤務。1995-2005東京都現代美術館学芸員。2003年アジアン・カルチュラル・カウンシルの奨学金でNYに滞在。おもな企画展、2003年「おだやかな日々」(東京都現代美術館)、2005年「榎倉康二展」(東京都現代美術館)、おもな論考に、「榎倉康二の写真作品」『予兆―Koji Enokura Photo Works 1969-19942015年 東京パブリッシングハウス、「榎倉康二の日常」『Reflection-返礼榎倉康二へ』2015Reflection-返礼榎倉康二へ実行委員会。他

 

近藤亮介 KONDO Ryosuke 

1982年大阪市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論)博士課程単位取得満期退学。現在、東洋大学ほか非常勤講師。専門は美学芸術学・ランドスケープ史。英米を中心に、近現代の絵画論・造園論を研究。学術論文のほか、『美術手帖』や『小原流挿花』など芸術文化誌への寄稿多数。

 

桝田倫広 MASUDA Tomohiro 

1982年東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科美術史学コース博士後期課程単位取得退学。現在、東京国立近代美術館主任研究員 。 関わった主な展覧会に 、「アジアにめざめたら:アートが変わる、世界が変わる 1960-90年代」(2018年)、「No Museum, No Life? ― これからの美術館事典 」(2015年) 、「 高松次郎ミステリーズ」(2014年、いずれも東京国立近代美術館)など。

 

三宅砂織  MIYAKE Saori 

1975年岐阜県生まれ。既存の写真を自らの手で陰陽反転して描きうつし、再び印画紙上に現像するフォトグラム作品を制作している。膨大な量のイメージが氾濫する現代においてもあえてイメージを見るという営為に重きを置き、人々の眼差しに時代を超えて内在する「絵画的な像」を多声的に抽出するという試みを展開している。主な展覧会に、2018年『20th DOMANI・明日展』(国立新美術館)、2017年『ArtMeets04 田幡浩一/三宅砂織』(アーツ前橋 ギャラリー1、群馬)。5月18日より東京・銀座のSPACE TGCにて個展『庭園|POTSDAM』開催予定。

 

展覧会DMデザイン・会場告知デザイン:Tomohiro Koketsu